かつて、
いろんな仮面をくっつけてるうちに、
素の自分はどこにいっちゃった?って
愕然としたんです、わたし。
子どもが幼稚園に行き始めて、
友人と身軽にランチに行ったはいいものの、
それまで子どもと取り分けできるものが選択基準。
渡されたメニューを眺めて、
私が食べたいものすら分からなくなっていた、
母仮面のわたし。
これだったら、父親、母親は納得するだろう、
という選択しかしてこなかった
娘仮面のわたし。
これだったら、夫も気持ちよくOKしてくれるだろう、
という限定的な選択肢しか持とうとしていなかった
妻仮面のわたし。
この場では、わたしはこれを期待されているよね?
パブロフの犬よろしく、
できるので、やっちゃいますね、という
仕事仮面のわたし。
自分はほんとはどうしたい?どうありたい?を軽視して、
「周りがOKを出す自分」 に自分を押し込めてたんですね。
周りの世界にあわせて、自分を作ってた。
そんなことをずぅっーと続けている内に、
ほんとの自分が行方不明。
ほんとのわたしは、どこいった?
「わたし行方不明」になりがちな人の特徴はいくつかあります。
・周りの空気に敏感
・いろんなことが器用にできる
・お役に立つことが喜び
・こうなったら、ああなると先読みができる
・人が喜ぶと嬉しいし安心する
いわゆる、すんごい「いい人」なのです。
いわゆる、すんごい「できる人」なのです。
とってもとっても、素敵な人なはずなのに、
これらの特徴に共通するのは、
「『自分』が行方不明」ってこと。
まわりにとって「いい人」であって、
じぶんにとって「いい人」ではなかったりするんです。
まわりは喜んでくれるんだけど、
じぶんは心底楽しめかったりするんです。
それって幸せ?
もしかしたら、
誰かに「いいひと」「すごいひと」って認めてもらわらければ、
自分が成り立たない。
わたしは、周りから認められる存在でなければならない
そんな呪縛をかかえているのかもしれないなって、
疑ってみるのも一つです。
誰に承認されなくても、
自分が自分であっていいって、
まずは、自分が自分を認めなきゃね。
そこを他人にお任せしない。
まずは、自分にとっての「いいひと」に
自分がなるんです。
それができたら、
めちゃくちゃ安心できるから。
もちろん、人は一人で生きられない。
だから、みんなお互い協力したり、
与え合ったりして生きていく生き物だけれど、
どこからスタートするかが
めちゃくちゃ重要だと思うんです。
自分がどうしたい?どうありたい?
本心の自分からスタートしなきゃ。
ほんとの自分でほんとに与えたいものを
周りに与えていけたなら、
自分よし、相手よし、世界よし、の
三方よしになるんだけど、
周りがどうしたい、どうありたいを察知して、
周りにあわせて自分が与えていると
最初は喜んでもらえて嬉しかったのに、
続けば続くほど、どんどん疲れてくるし、
周りが当たり前のように受け取り出したり、
思うような反応がなくなると、
悲しくなったり、怒りがこみあげてきたりするんです。
それがエスカレートすると、
あなたのためにこんなに頑張っている
「わたしは正しい!分かってよ!」
って、周りに対して、マウンティングしてしまったり、
「わたしかわいそう、察してよ!」
って、周りからエネルギーを吸い取ったり。
だぁれも幸せにならないパターン。
だからね、まずは、周りはほっといて、
自分自身とつながること。
そこで見つけたほんとの自分で、
相手と、世界と繋がること。
行方不明の自分を見つけるのは、
なかなか難しい。
行方不明になって長らくたっていれば、
なおのこと。
あれ?ほんとの自分はどこいった?
いったい、わたしは何がしたいんだっけ?
じぶんを探してみたくなったなら、
余白を作って、
自分を向きあう時間を持てるといいね。
自分のことは自分では、
なかなか分からないものだから、
誰かに話を聞いてもらえるといいね。
今のご時世、この乱世、
早めに自分を捕まえておかないと、
命取りになる判断ミスを
いっぱい起こしてしまうから。
今日もお受け取りくださり、ありがとうございます。
あなたがあなたを生きることで、
あなたとあなたの大切な人達の
心地よい幸せと豊かさがますます広がっていきますように。
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