幸せの受け取り許可

自分をご機嫌にしようといろいろやってみるけれど、
なぜか心底楽しめない。

夫や家族や友人が、私に優しくしてくれるのに、
なぜか、心が痛んでしまう。

もしかすると、無意識に
幸せの受け取り拒否をしているのかもしれません。

この世が鏡とするならば、
あなたが幸せの受け取り拒否をしていては、
周りの人もあなたから幸せを受け取ってくれません。

幸せの受け取り拒否をしているかも?

「幸せになりたい!」
心からそう思っているのなら、
まずは、幸せの受け取り拒否をしていないか、
チェックしてみてください。

  • 褒められると、「いやそんなことないです」と相手の言葉を打ち消す。
  • 誰かに何かをしてもらった時、「すみません。」と謝る。
  • 人が自分のために何かしてくれると、申し訳ない気持ちになる。
  • 高価なプレゼントをもらうと、自分にはもったいないと思う。
  • 贅沢をした後に、罪悪感を感じる。
  • 子どものころから、あまり褒められたことがない。
  • 自分のことを褒めてあげたいと思うシーンがない。
  • 常に節約し、質素に暮らすべきだと思う。
  • 自分のサービスに値段をつけられない。

さて、いくつ当てはまりましたか?

 

謙遜や謝罪は、自分を下げる

美学としてたたえられる「謙遜」
実は、これが、「幸せの受け取り拒否」を助長させます。

たとえば、こんなシーン。
「髪を切ったんだね。とっても似合っているよ。」と言われて、
「そんなことないよ。」と謙遜しているつもりで発した言葉は、
相手からの好意の言葉を受け取れませんよ、と
受け取り拒否をしているんです。

また、ついつい口にする「すみません。」
たとえば、ご近所さんから、おすそ分けのみかんを頂いたとしましょう。
「これ、実家からたくさん送ってきてくれたので、よかったらどうぞ」と言われて、
「いつも、すみません。」と返すシーン、よくありますよね。
何気なく使う「すみません」は謝罪の言葉。
謝罪しなくてもいい場面で、無用の謝罪をしているんです。
一番近くで真っ先にあなたの発する言葉を聴いているのは、
あなたの耳です。

無駄に自分を下げる言葉を使わないことは大事です。

 

誰かがあなたに向けてくれた好意を
申し訳なく思うのではなく、

まずは好意を受け取って、
「ありがとう」

相手も、自分も喜ぶ言葉を使うことで、
受け取ったことを喜ぶ自分になれますし、
与えてくれた相手も喜んで、
また与えてくれるようになります。


「ありがとう」

受け取り拒否を受け取り許可に変える魔法の言葉です。

 

罪悪感の正体は、自分の評価の低さ

自分で自分をご機嫌にしようと、
美味しいものを食べたり、
旅行に行ったりしても、

自分だけ、こんな贅沢していいのかな?
夫に悪い。
と感じたり、

高価なプレゼントをもらったり、
高級ホテルのような場に身を置いたときに、

自分にはもったいない、
自分には不釣り合いだ
とどこか罪悪感を感じて、

心から楽しめない、
受け入れられないのは、

「私はその豊かさを享受するに足る人間ではない」

と、無意識に自分の価値はここまで!
とラインを引いている状態かもしれません。
自分で自分の幸せ、豊かさの限度枠を作っているんです。

 

勿体ないですよね。


「どんな豊かさも受け入れるに足る私」

そんなセルフイメージを、
ひとつひとつ、豊かさを素直に手に取っていくことで、
積み上げていってくださいね。

 

体感した幸せは与えやすい。

周囲を幸せにしたければ、
まずは自分が幸せを体感すること。

経験として、受け取ったことのある
幸福感、温かみ、癒し、豊かさは、
周囲に自分自身を通して与えやすくなります。

誰かのおうちに招かれて、
感じた温かさや、楽しさ、豊かさは、
体感したからこそ、次に自分が招く側になったときに、
温かさ、楽しさ、豊かさを与えることができる。

こんな気遣いが嬉しかった。
こんな演出が楽しかった。
こんな空気感だった。
受け取り手としての実体験があるからこそ、
与える側に回ることができるんですね。
表面上の行動(やり方)ではなくて、
経験としてインストールしたことのある幸せを
自分自身の行動を通して周囲に届けることができる。


周囲を幸せにしたいと思うなら、

まずは自分自身に
幸福感、温かみ、癒し、豊かさをインストールすること。

自分自身が体感する幸せは、誰かから奪うということではなく、

・すでにある幸せに気づく(ないもの探しをしない)
・誰かが目の前に差し出してくれたら、素直に受け取る

・お金を払って、自ら受け取りにいく

この3つがスタート。

そして、大切なのが、
どんな形にせよ、受け取った幸せは、
罪悪感やもったいないと思わずに、
五感で体感し、
自分の身体にインストールすることです。

志事(ビジネス)も同じ

志事(ビジネス)も、
「自分に受け取り許可している人ほど豊かになる」
そう、思います。
自分がサービスの対価として「お金」を受け取る側になったら、
嫌が応でも、自分で自分に「受け取り許可」を下すシーンが現れます。

これまで、幸せの受け取り拒否をしているつもりがなかったとしても、
受け取るものが「お金」になった途端、

・自分のサービスの値段を決められない。
・こんなに受け取っていいんだろうか?
・この額を請求したら、相手はどう思うのだろうか?

迷ったり、怖くなったりします。

 

このテーマについては、
長くなりそうなので稿を改めますが、
自分のサービスに自信があるないとは別のところで、
一つ言えることは、
自分が体験していないことをするのは、こわいということ。

つまり、10万円のサービスを受けたことがないのに、
自分のサービス対価として、10万円を受け取ることは、
経験値がないので、こわいという反応をしてしまうんです。

無料や低価格のサービスを追い求めていると、
自分も無料や低価格のサービスしか提供できない。

先にも書いた
「自分自身が経験として受け取った幸福は、
自分を通して周囲にも与えやすい」と同じで、
お金を払ってモノやサービスを受け取る経験をすることで、
お金を受け取ってモノやサービスを与えることができる。
受け取ったもので与える器を広げていくのはビジネスも一緒なんですね。

 

主婦をしていると、ついつい
「節約美学」だけに意識が向いてしまいますが、
もちろん節約するときはしつつ、

モノやサービスなど、受け取る覚悟をしたときは、
ちゃんと対価を払うことで、
自分自身の受け取る器を大きくできるんです。

「幸せの受け取り許可」について、今日はお話ししました。
少しづつ、幸せを受け取る器を広げていきましょう♡