娘の母親審判

 

娘の母親審判

今朝、太郎が小学校の宿泊学習で、
軽井沢へ出発しました。

自分一人で3泊4日の荷造りをして、
持ち物にも全部自分で名前を書いて、
今朝は、早起きして、
自分用の朝ご飯の卵焼きとソーセージを焼いて、
6:35にクラスメイトと一緒に
登校していきました。

 
(何もしない母(笑))

 
 
 
小学校最後の楽しい体験を
いっぱいしてきてほしいと思います。

 

子の成長というのは、
本当に早いなと思います。

ほんと、泣き虫で、人見知りで、
私からぴったりくっついて
離れなかった太郎だったのに。

私が6年生だった頃より、
太郎の方が、ずっとしっかりしてる(笑)

 
 
私、
小学校のころは、母親に全部、
持ち物に記名してもらってたと思うし、
いつも早起きできなかったし、(今もだけど)
自分の朝ご飯だって、
ほとんど自分で準備したことなかったし。
自分でガスコンロ使えるようになったのは
多分、大学のころだったか?

 

私、母には、過保護に育てられました。
母も、過保護に育てられたのだそうです。  
 

私が、妻になり、母になると、
私の母親に対する眼差しが優しくなりましたが、

 
それまで、 
娘である私の
母親に対する見方というのは、
厳しいものでした。


 
 
いつも批判的に母と対峙していました。
 

・父の言うことには文句をたっぷり言いながら、服従。
・父の判断なしには行動しない。
・女性は控えめであるべきだと娘に言う。
・自ら考えようとしない。
・いつも疲労している。

小さな頃から、
学校でも、
就職でも、
仕事でも
男性性の強い思考に支配されていた私は、
 

 
自らの行動で、
より高みへ 
より強く

それが何より素晴らしいことだと
思っていました。
 

 
誰かに頼ることは負け。
縁故入社なんて、卑怯。
専業主婦は、戦線離脱。

 
本気でそう信じていたので、
父に依存する生き方の母に対して、
とても否定的で、
私はあんな風になりたくないと思っていました。

 

私は、母の時代の社会的な背景や、
個人的な事情を考慮せずに、
自分の価値基準(正確にはすり込まれた価値基準)で
母を審判していたんですね。
 

 
だから、私は、
パタリと仕事を辞めて、
育児に専念することにしたとき、

 
 
私は家庭を大事にしたいと決意しながら、
専業主婦になったとたん、
自分の家庭での価値を
素直に認められなかったのです。

 

今、フラットに母を見ると、
 

 
母は私を産み、
母がそのときに思うベストの方法で私を育てた。
父の意に沿うように暮らすことが
そのときの母にとって自然な生き方だった。
 

そう思います。
いい悪いじゃないんですね。 

 

知らず知らずのうちにしみ込んでいた
男性性に非常に偏った思考に気付いたおかげで、
私の母に対する確執が溶けていきました。
それと同時に、
家庭での私の価値を
正当に見れるようになりました。

 
 
娘にとって、母親が一番身近な
「女性の生き方モデル」。

 

だからつい、
母親に過剰に反応し、審判し、
「あぁなりたい」、「あぁなりたくない」の
2択になりがちですけれど、
 
 

それよりも、
その囚われをそっと脇に置いて、
なりたい女性を自分で描き、生きていく。
 

 
妻も母も私自身をどれも大切に。
男性性も女性性も融合させていける女性。
私はそうなりたいと思います。

 

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