脱!「場の規格」 自由自在な「自分規格」へ

今日は、私にとって、特別な日。
 

誕生日でもなくて、
結婚記念日でもありません。
 

10年前の6月18日
4年前の6月18日
  

 
2010年6月18日に、
アベンジャーズのドクターストレンジの
時空通り抜けループ(?)をくぐり、
丸々6年間別の世界で過ごし、

2016年6月18日に、
再び、通り抜けループで
細胞変化して戻ってきた。
そんな風に感じています。
 
 
たまたま、マレーシアに飛び立った日と
本帰国した日が一致しただけなんですけれど、
1/365の確率。
それも何か意味があるのかなって。
 

10年前の今日、3歳と10ヶ月の息子二人を抱えて、
南国の島に現地時間で夜の8時に到着。
降り立った瞬間に、肌全体を覆った、
ムンとした熱気は今でも忘れられません。

 

その後、6年間、夫の駐在に付き、
マレーシアの南の島で
過ごすことになりました。
  

同じく駐在の方の中には、
東南アジアの島ということもあり、
衛生、医療、教育のことを気にかけて、
家族は日本に残してくる方も一定数いましたし、
 
 
ここではやっていけない、と、
家族だけ先に帰国した方、

  
子どもの進学のタイミングで、
母子だけ先に本帰国した方など、

様々な事情で、
日本とマレーシアに分かれて住む家族が
いらっしゃいました。

当時、私の中でのプライオリティは
「家族一緒に暮らすこと」
だったので、
行った先でのことは、
なんとかなる、そう信じての渡馬でした。
 
 


(放し飼いの牛)

イスラム教、ヒンズー教、仏教、キリスト教。
マレー人、チャイニーズ、インド人、外国人。
ハリラヤ、春節、ハングリーゴースト、ディパバリ、クリスマスと、
年中ひっきりなしで、祝祭。
レクサスやBMWが走る横を
一家5人が乗った1台のバイクがすり抜ける。
マレー語、福建語、北京語、広東語、ヒンディー語、英語が交錯。
たまにおかしな日本語も。
高台のジャグジープール付きの家のふもとには、
洗濯物がびっしり並んだ掘っ立て小屋。
素手で食事する文化、スプーンをナイフ代わりに使う文化、箸の文化。
牛を食べない宗教、豚を食べない宗教。
受験勉強をしなくても、ある程度、進学と職が確保されている人種と
勉強できないと生きるか死ぬかの人種。 
救急車を利用出来る人と、そうでない人。
 
 
 
島はカオスでした。
 
 
 
日本での常識は
現地での非常識。

 

現地の人達の間でも
民族間、宗教間で
常識、非常識が分かれていました。

「郷に入れば郷に従え」

という言葉がありますけど、
「郷」があまりにもカオスだったので、
従うべきは、
「幅と違いを受け入れよ」というルール。

 

他者との違いを受け入れられない来訪者は、
ずっと怒っていました。
自国のルールで「~であるべき」と押しつけて、
怒ったり、文句を言ったり、さげすんだり。
 
  
私も初めはそうでした。

時間に正確な日本人アルアルで、
「約束の時間は守るべき」
を自分に対しても、相手に対しても、握りしめていて、
特に、サービスを提供する側に対しては、
「お客様は神様」信仰を強烈に持っていて、

 

たとえば、エアコン修理の業者に対して、
「どうして、約束の時間に来れないなら、
 連絡よこさないんだろう?」
とかね。
 

 
それが、次第に、
「どうして、約束のに来れないなら、
 連絡よこさないんだろう?」
になり、
「来れるかどうか、こっちから電話しよう」
になり、
「来てくれて、ありがとう」
になる。
 

いつの間にか、
「お客様は神様」信仰から、
「店も客も対等」信仰へと変化したり、ね。


(タイヤは身体に通して運ぶというスタンダード)

6年間の時空通り抜けループの中にいた間に

同じ人間といえども
「幅と違い」がある。
持っている価値観は千差万別が、当たり前。
 

それが私の中にインストールされたように思います。

マレーシアの南の島で暮らしていた頃は、
島全体が多種多様で、「場の規格」を感じなかった。
だから、気が楽でした。

日本人のコミュニティとは、
一定の距離感を保っていたので、
日本の単一的な価値観の枠内に
自分をはめなくてもよかったから。
「自分規格」で生きていたから。

 

 
2016年の今日、
日本に帰ってきて、
反射的に「日本規格」にはまり込もうとして、
うぐぐっって辛くなりました。
 

小さな頃から、今に至るまで、
あちこち引っ越ししてきて、 
反射的に、場の空気と場のルールを察知して
そこに自分を合わせて生きてきたけれど、
 

6年という、
小学校入学して卒業できちゃうくらい長い間、
ほぼ「ノールール」の中に身を置いたおかげで、
細胞ごと入れ替わってしまったのですね。
 

「日本規格」じゃなくて、
自由自在な「自分規格」で生きたい。

2016年の今日には
言語化できていなかったモヤモヤは
これだったんだなって、思います。
 

浮き草のような人生を
ポジティブに楽しむには、
「脱!場の規格」
 
自分の成長・変化にあわせて、
自由自在に「自分規格」を定めること。

自分規格で居られる居場所を
今、育んでいることに、
「うん、その調子!」、と思う今日です。

 


(ドリアン畑にてブランコに乗ってみた図)

今日もお読み下さり、ありがとうございます。

あなたの幸せの限度枠がどんどん広がっていきますように。

 

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