ライティングセラピー~悲しい出来事の癒やし方~

自分の花を咲かせよう。
本心の自分で世界と繋がり、
心地よい幸せと豊かさの限度枠を広げていきましょ♡

若野さきです。

先週、悲しいことがありました。

 
ものすごくプライベートなことだし、
明るい話題でもないので、
文章にして誰かに伝えるのはどうなんだろう?
とも思いました。

 
でも、色あせてしまう前に、
確かに存在したことを
私の中に留めておきたくない。

そう思って、今日はブログをお届けします。

今日は、私のライティングセラピ-。

もしよければ、お付き合い下さい。

いつもは、こんな文章、
人目には出さないです。
 

今日は、伝わる文章とか、
構成とか、言葉選びとか、
全部抜きにして、書きます。
 

なので、途中でもういいやって思ったら、
ここでページを閉じて下さってOKです。
 

と、前置きをした上で、
書かせて頂きますね。

 

自分の感覚なのに、
ものすごく悲しいのか、
まぁまぁ悲しいのか、
ちょっと悲しいのか、
なんだか分からない「悲しみ」の中にまだいます。
 

それ以来、
なんだか、元気が出ない。
やる気が起きない。
イライラしてしまう。
 

そんな自分にちょっと嫌気がさすというか….。
 

先週の水曜日、
私の祖母が亡くなりました。
 
 

享年100歳。

99歳まで自宅で暮らし、
普通の食事を3食とり、
トイレは自分で行き、
忘れっぽくはなりましたが、
頭はしっかりしていました。

髪の毛は豊富で、
白髪よりも黒髪が多く、
歯もほぼ自前。

 
それでも、昨年の4月に
背中を圧迫骨折してからは、
施設に入り、その後、
入退院を繰り返していました。
 
 
先月、帰省した際、
もう長くないかもしれないと聞いて、
大阪の東住吉区の病院に
真っ先に会いに行きました。

 
 
食事はできず、点滴。
目は開けられず、
意識は朦朧としている状態でした。
1年前の元気なおばあちゃんとは
見た目は別人のようでした。

それでも、むくんだ小さな手をもんであげると
「あぁ、きもちええわぁ。」
と声を出しました。

おむつかぶれなのか、床ずれなのか、
「おしりがいたい」
「連れて帰って」
と懇願していました。
 

でも、私にはどうすることも出来ず…。

「元気になってね。待ってるね。」
と声をかけました。
自分がかけたこの言葉も、
なんとも無責任かつ、無力で…。

 

すると、祖母は

「待っててね~!」
と、おそらく祖母がその時出せる
一番大きな声をはりあげて
こたえてくれました。

それから約半月後の4月12日。
息を引き取りました。

 

祖母は、大正13年生まれ。
師範学校を出て、学校の先生になり、
140cm代の小さな身体で、
薙刀の授業もしていたそうです。
小さいけれど活発だったので、
「豆が走る」と言われていたんだとか。
  

婿養子をとり、
娘、息子、息子、
子供を3人産みました。
長女が私の母です。
 

造船会社のエンジニアだった祖父が
広島の尾道に転勤になると、

子供3人を大阪に置いて親に任せて 
一緒について行きました。
 

編み物や、洋裁、パッチワークが得意で、
自分や家族のために、
たくさんの着るものをこさえてくれました。
 
 
私にも、セーターを編んでくれました。
ワンピースやキュロットスカートも
作ってくれました。

小学校の夏休みの自由研究に
祖母にたくさん端ぎれをもらって
人形を作ったりしました。

 
私の通っていた高校の体育祭では、
ユニフォームを手作りするのが恒例で、
毎年、型紙を作るところから、
祖母に手伝ってもらっていました。
 
  
私が関西を離れてからは、
会う機会が減ったけれど、 
電話で話すと、
いつもあったかい言葉をくれました。

2020年、夫がドイツに転勤になって、
コロナ禍かつ、息子も大きくなってきて、
ドイツについていくのかをすごく迷っていた時、
 

いろんな人に話をしても、
なんだか決めきれず、

そして、ふと、祖母に電話しました。 

すると、ほとんど外出することがない祖母は、
「へぇ、世の中、そんなことになってるの。」
と、まるでコロナなんて、
祖母の世界にはないかのようでした。

 
そして、

「さきちゃんも、ほんと、大変やねぇ。」

とだけ、言いました。

涙がポロポロこぼれました。

そう、その時、
私が本当に欲しかった言葉は、
「ドイツに行った方が良い、行かない方が良い」
という、アドバイスじゃなかったんだ、って。

渦中の外にいるからこそ、
気持ちに寄り添ってくれるのが

私の祖母でした。
 
 

私が仕事の話をすると

「子ども相手にひとり寂しいよりも
 好きなことをやるのが
 『自分の生きがい』やね。」
 

「教えるというのは、大変なことやね。」

男の子3人、さきちゃん、一人でえらいね。
 体力あるんやわ。」

 

いつも、遠くから応援してくれているのが
私の祖母でした。

おばあちゃんのことが、大好きでした。


大正、昭和、平成、令和。


一世紀も生きたんだから、

寿命だったんだよ。
大往生だった。

周りからも、そう言われたし、
自分でも、そう言い聞かせてたけど、
やっぱり私にとっては、違うんですよね…。

 

冒頭で、
悲しさの度合いがよく分からない、
なんて書いたけれど、
 

今、これを書いてたら、
何度も画面が涙でにじんできて、
私にとってかけがえのない存在を失ったんだって
めちゃくちゃ悲しいんだって
ようやく気付けました。

私は自分の感覚に、
かなり鈍感になっていたみたいです。

祖母の身体から
生まれて繋がった命は
子ども3人。孫7人。ひ孫15人。

お葬式で久々に親戚一同、集まってみると、
血を受け継ぎながら、
みんなそれぞれの人生を生きているんだなぁと。

 

祖母の身体は本当に小さかったけれど、
私にとっては
めちゃくちゃ大きな存在でした。
今も、なお。

 

悲しいけど、
めちゃくちゃ、悲しいけど、
祖母を含めて、先祖のおかげで
私も子どもも生きているわけで。
 

いつか、私も、
誰かの先祖になるわけで。

これからも、目の前の毎日を
生きていくしかないんですよね。

毎日、ご飯を作らなきゃだし、
毎朝お弁当をつくらなきゃだし、
今日も、子どもの保護者会あるし、
PTAとか、野球の当番もあるし、
大量の洗濯物は自転車操業だし、
子どもは自由気ままだし。

そんな忙しい日常ですら、
祖母の死を通してみると、
ありがたく、大切なおつとめに
見えてくるものですね。

 
 

「人身うけがたし」

というけれど、
祖母の身体から奇跡的に
人としてこの世に生まれた私。
  

人生100年なら、
私は、今、ほぼ折り返し地点。
 

私は何ができるだろう?
何を成し遂げに生まれてきたんだろう?
今やらなきゃいけないことは何?

日常の忙しさに流されて、
今さら、こんなことを

この歳で考えているなんて、遅すぎる。

焦る気持ちもあるけれど、
今、私が大切にしたいのは

「生きている感覚」なんだって
書きつらねてみて、気付いてきました。

棺の祖母のおでこの冷たさと
真逆のもの。

 

肌の温かさ
喜びや悲しみの分かち合い
日々の暮らし
人とのつながり

「生きている感覚」を構成するもの。
これら、ひとつひとつ、紐解いて、

大切にしていく生き方をしようと思います。

日々の暮らしも。
子育ても。
仕事も。

ふしぎ。

未来を考えると、涙ってとまるんですね。

私のライティングセラピー。


人に見せるものでもないけれど、
「書くことは、浄化」ですね。

 

最後までお読み下さり、ありがとうございます。 

あなたがあなたを生きることで、
あなたとあなたの大切な人達の
心地よい幸せと豊かさがますます広がっていきますように。

 

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