花満時間主宰、若野さきです。
みなさんの憧れの生き方ってどんなですか?
いきなりテーマが壮大ですけど(笑)
それぞれ、こういう生き方いいなぁって憧れってあると思うんですが、
自分のとってきた行動と理想の生き方とがマッチングしているのか、
考えてみました。
もし、「憧れの生き方」を聞かれて、
今はこの記事を読む気になれないなと思ったら、
理想と行動が一致していないサインかもしれません。
私の理想の生き方
先に私の理想の生き方を公言いたしますと、
「好きな人たちのために、
私の好きなことをして、
結果として喜んでもらえる。」
もう少しはっきり言いますと、
私は、究極のところ、
好き嫌いで生きている質なので、
、、
「好きな人たちだけのために、
、、
好きなことだけをして、
結果として喜んでもらえる」
こういった方が、正しいかもしれません。
今までの私の行動
自分の理想の生き方に照らし合わせて、
人生を振り返ってみると、
母親が買い物に出かけているうちに
鏡を拭いたり、掃除機をかけたりして、
掃除をしておいて喜んでもらったりとか、
会社の同期のお誕生日を覚えていて、
サプライズプレゼントしたりだとか、
お友達を家に招いて、
お料理を準備して、花を飾って、
お正月や端午の節句のお祝いをしたりだとか、
卒業アルバムのない海外の幼稚園を卒園するお子さんに
自分が撮りためていた写真で、
卒業アルバムを手作りしてプレゼントしたりとか、
近所の子供たち向けに、
参加人数が20名を超えるような
節分、イースター、ハロウィン、クリスマスのイベントを企画して
自宅に招いたり、会場借りたりしながら、
母子で楽しんでもらったりだとか、
地域に貢献したお友達の送別会で
彼女への感謝を伝えるイベントを計画したりだとか、
お習字の機会が少ない
マレーシア在住の日本人の子ども達向けの
書初め大会を開いたりだとか、
日本人補習校で、
習字を教えたり、国語を教えたりだとか、
卒業式を迎える卒業生に
生花コサージュを作ったりだとか、
子どもにフラワーアレンジ体験レッスンしたり、
かつてのブログでマレーシアの情報発信しているうちに、
日本からマレーシアに引っ越してくる方の
子どもの教育相談や、生活相談にのったり、
実際に、現地で案内したりだとか。
もういいって?(笑)
これ、実費を除いてはほぼ無償でやってました。
掃除したり、料理したり、
写真撮ったり、イベントしたり、
書道したりと、教師をしたり、
花を触ったり、
私はよく周りから、
「何でもできるね」、と言われるんですけれど、
実はそうではなくて、
出来ることだけを、出来る範囲でやっているだけ。
子どもの面倒を見るのは苦手だし、
力仕事は大嫌い、計算も得意ではありません。
地図は読めないし、裁縫とか、細かい作業も大嫌い。
私の出来ないことをあげたら、本当にキリがないです。
出来ないことは一切しない。
でも、できることにだけフォーカスして
それを使って、誰かのためになったらいいな、
喜んでもらえたら嬉しいなというのが根底にあったんです。
やってることはバラバラでも
根っこは同じです。
私の理想の生き方と行動はあっていたのか?
最近関わっている人たちが、
人生のターニングポイントで、
「こういう生き方がいいな、ここが原点」
を認識して、そこに向かって進んでいくというような話を
聞く機会が最近重なって、
自分の行動の原点って何だろうって考えたんです。
理想の生き方と、行動がマッチしていなかったら、
永遠に理想のままで終わってしまう・・・。
自分がしたくてしていた今までの行動の原点。
ほとんど、無意識にしていたんですけれど、
その原点は、ちょっと嘘くさいけれど、
「誰かの喜ぶ顔が見たいから」
うわぁ、キザ!と自分でも鳥肌立つんですけれど、
よぉーく、深堀していくと、
これらの私の行動でも、実は3種類あるんです。
「誰か」って「誰やねん」ってところです。
〇不特定多数のためにとった行動
〇自分が好きで一緒にいて心地よい特定の人のためにとった行動
〇好き嫌いに関らず、特定の人のためにとった行動
これを分け隔てなく、意識することなく、
行動していたものだから、
時にはエネルギー消費が半端ないんです。
もちろん自分が好きなことだけをしているので、
基本的に自分にとっては全て「快」の行動なんですけれど、
その自分の行動を誰に渡すのかによって、
私が元気になれたり、疲れちゃったりしていました。
つまり、嫌いとまではいかなくても、
一緒にいると疲れるな、ちょっと居心地悪いなという人にでも
分け隔てなく自分のエネルギーを注いでいたわけです。
ほら、学校の先生がよく言う、
「誰とでも仲良く」ってやつの刷り込みですね。
で、いつのまにやら、八方美人。
私はマリア様でもあるまいし、
無茶なことをやっていたわけです。
もう一つの疲れた理由
これは、もう行動している時から分かっていたんですけれど、
「私の注いだ労力や感情」に見合う「笑顔」が頂けなかった時。
まぁ、無償でやっていることにも起因してくるかと思いますが、
ちっちゃい人間だな~、自分で好きでやってるんでしょ!
って自分が恥ずかしくなります。
いつのまにか、「私がやるのが当然」みたいな空気になっていくんですね。
「だって、できるんでしょ。知っているんでしょ。」、みたいな。
できるけど、やるかやらないかは、その人次第じゃないですか。
じゃぁ、気分が悪くなるならやらなきゃええのに、って話ですよね。
それは、その通りなんですけれど、
やっぱりやりたいんですよね。喜んでもらえたら嬉しいから。
ハイ、自己満です。
だから、私が相手に笑顔を強要するのはおかしいんです。
だから、決めました。
私は、やりたいからやる。
相手がどういう風に受け取ろうとそれは相手の自由。
結果として、相手が喜んでもらえたらラッキー♡。
私が行動したい相手を選べばいいんです。
喜んでもらえても、そうでなくても、
どっちもOKな気持ちでいられる相手を。
そんな人に囲まれていた幸せでしょ。
私の理想の生き方は
「誰か」のためではなくて、
「自分が好きな人、一緒にいて心地よい人、自分が関わりたい人」だけのために、
「好きなこと」だけをして、
「結果として喜んでもらえる。」
我儘なようですが、これです!
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