カスタマイズされた杖ではなくて
昨日は、約30年ぶりに山歩きをしました。
私は、高校の修学旅行以来。
夫と次郎と三郎と私の4人で。
富士山の北西にある精進湖(標高920m)から、
標高1328mのパノラマ台まで。
標高差400mの山歩きです。
整備されている、とはいえ、
細い登山道、木が倒れていたり、
石がゴロゴロしていたり、
急坂もあったり、
私にとっては、
油断できない山歩きでした。
途中何度も休憩しながら、
パノラマ台まで約1時間半。
5歳の三郎が登り切れるのか?
私の足腰は持つのか?
少々心配でしたが、
無事に登っておりてくることが出来ました。
パノラマ台からの風景
雲の上から頭を出しているのは、
富士山です。
道中、落ちている丈夫そうな枝を、
「杖」がわりに調達して、
それを片手に持って、進みました。
「杖」は老人のイメージでしたが、
あるとないとでは、大違い。
かつての私は、
山登りに限らず、
「杖」に頼るのは負け
自分の力でなんとかすべき
努力してなんぼ、
と信じていたところがありましたが、
他力をありがたく
借りることにしてから、
全てがスムーズに流れ出し、
「杖」を使った方が
より豊かさへと続いていくことを
実感しています。
自分の足で歩くのか、
杖の力を借りるのか、
それは自分が決めればいいのですが、
杖を使うなら、
夫には夫サイズ
次郎には次郎サイズ
三郎には三郎サイズ
私には私サイズ
杖は杖でも
長さ、重さ、強度があっていないと
むしろ、負担。
「杖」というのは同じだけれど、
その形態は、
山を登ろうとしている人に
フィットしていないとね。
私が、
夫や息子達、
オンラインサロンメンバーさん、
今私のメルマガを読んで下さっている((friendly_name))さん、
ご縁あって、
私の側にいらっしゃる方の
「杖」(他力)になるとき、
「杖」という
原理原則を大切にしながら、
その人が登りたい山に
自分の足で登れるように、
私は杖として、
伸びたり、縮んだり、
軽くなったり、重くなったり、
強度を増したり
していきたいと思います。
その人のために
はじめから杖を固定的に
カスタマイズするのではなくて、
同じ杖だけれど、
その人以上に、登頂を信じて、
その人の歩みに合わせて
必要なページを段階的に
開いてみせることが出来るような
杖であること。
そのために、
これからも原理原則を
謙虚に学び続け、
自由自在さを身につけ、
誰かの登頂の喜びが
私自身の喜びになることを
信じて疑いません。
幸せの限度枠がどんどん広がっていきますように。
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