夫のドイツ赴任日が1週間後に迫り、
妻である私は、
気忙しさと寂しさと決断までの焦りが入り交じってます。
夫は高校時代に寮生活を始めた時の夢を見るようで、
新しい環境への不安と家族と離れて暮らす寂しさを
感じているようです。
夢って、正直ね。
夫についてドイツまで
家族も行くのか、行かないのか問題。
メリット、デメリット、
私の事情、子どもの事情、
細かいことを書き出すと、
いっぱいあるけれど、
「ほんとは私、どうしたいのかな。」
「今、この瞬間、何を大切にすべきなのかな。」
一緒に行っても行かなくても、
どちらの道を選んでも
きっと未来はだいじょうぶ。
それも分かってしまうと、
すると、途端に、
どちらも選べなくなるという不思議と苦悩。
昨日、私がお世話になっているプロジェクトのグルコンで
私、迷ってるんだってお話ししたら、
制限時間を越えても、みんなが一緒に考えてくれて、
振り子読んでくださったり、
いろんな問いを投げてくれたり、
私の為にカード引いてくれるメンバーもいたりして、
なんて、みんな優しいの~(涙)
今朝、ふと思い立って、
大正13年生まれの祖母に電話しました。
私
「来週、シンゴさん(夫)、ドイツに赴任するんだ。」
おばあちゃん、
「へぇ、活躍してはるんやねぇ。すごいねぇ。」
(→あ、そうか、そうとも言える。コロナ第二波が漂う欧州において、ドイツに来いっていわれてるんだもんね。その視点なかった。)
おばあちゃん
「でも、いいねぇ、いろんなとこ、行けて。」
(→あ、そうか、そうとも言える。おばあちゃんは今、行こうと思ってもなかなかどこにも行けないもんね。)
私
「今は、コロナで海外に頻繁に行ったり来たり出来ないし、入国許可もらえなかったり、日本に帰ってこようと思っても2週間隔離とかあるんだよね。」
おばあちゃん
「へぇ、そうなん。そういえば、病院も最近変で、透明の幕ごしでほんのちょっとしか(入院中の息子に)会われへんねんよ。おかしいやろ。」
(→おばあちゃん、コロナ情報、ほとんど知らないのね(驚))
おばあちゃんがしきりに私に言ってくれたのは、
「さきちゃんも大変やねぇ。ご主人のことも心配やし、子どものことも心配やし、あんたの仕事もあるし。」
その言葉を聞いたら、ポロポロ涙がこぼれてきて、
でも、おばあちゃん心配させちゃうから、
気づかれないように「うん」とだけ答えて。
ヨーロッパ駐在とか、
華やかに聞こえるかも知れないけれど、
確かにそういうところもあるかもしれないけれど、
数年前までマレーシアの島で暮らして、
島で子ども産んで、子育てしてきたから分かるけど、
そんなに生やさしいものじゃない。
夫の仕事にあわせて、
日本国内と海外と行き来する女の人生って、
・自分はどうありたいか
・家族とどうありたいか
大切なもののバランス取りがすごく難しい。
私はどこに引っ越になっても、
心地よい人間関係を伴った働き方ができるように
日本に帰国してから4年かけて
オンラインで徹底的に取り組んできて、
ようやくそれも形になってきたし、
実際、ドイツにいったって、
その面では問題ないけれど、
働き方とか表面的なこと以上に
自分と家族と未来との
やじろべえの均衡のとれる点を探して決めるって、
実はものすごく怖かったりします。
ほんとの自分で生きる、
そう決めた人は特に。
人のせいにできないから。
環境のせいにできないから。
自分と家族と未来のやじろべえの均衡点さがし。
転勤族だろうが、ずっと同じところで暮らしていようが、
それはみんな、同じなんだと思います。
おばあちゃんに
「さきちゃんも大変やねぇ。ご主人のことも心配やし、子どものことも心配やし、あんたの仕事もあるし。」
そう言ってもらえて、均衡点を
「決める」という作業の前に、
「私は大変なんだ」
「夫と子どもと私との狭間で揺れてもいいんだ」
そんな自分を認めるところからスタートだったなんて。
答えを急ぎすぎると、自分のほんとの気持ちを見過ごしちゃうね。
大正13年生まれの、96歳のおばあちゃんから見たら、
コロナも海外転勤も、さほどたいしたことなくて、
それより、目の前の出来事に自分の立場で対処していく、ただただ、それだけ、なんだなぁ。
対処するという行動に気を取られて、
自分の気持ちを置いてけぼりにしちゃだめだよって教えてくれたんだなぁ。
ありがとう、おばあちゃん。
久々に、ポロポロ泣きました。
まだもう少し泣いちゃうかも、ですけど。
私たち家族の大航海もまもなく出航は間違いなく、
私は「港」としてどうあるか、ありたいか、
その答えを見つけていくんだろうなと思います。
今日もお受け取り下さり、ありがとうございます。
あなたの人生の大航海に、愛と追い風を送ります。
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