今朝、中学1年生の太郎との玄関での会話
太郎「今日、お母さんどっかいくの?」
私 「バドミントン。」
太郎「お母さん、自由時間楽しんでるね。」
私 「うん、それがお母さんの仕事だから。」
太郎「お母さんの仕事って、家事だと思ってた。」
私 「え?家事もするけど、メインじゃないよ。」
以前の私は、太郎のように
「お母さんの仕事は家事」だと思っていました。
特に昔は専業主婦でしたから、
「せめて家事でもしなければ何のお役にも立たない人」
なんて、思っていたんですよね。
私が当たり前のように持っていた価値観、ルール。
「専業主婦は、家事を完璧にすべき」
完璧の基準って主観的なものですし、あるようでないので、
好きなお料理ならまだしも、
好きでない家事(アイロンがけとか、掃除とか)を
完璧にしなければならないって、
けっこうしんどいし、
夫がアイロンがけをしているのに気がつくと、
ちょっと申し訳ない気持ちになって、自分にダメだししたり。
でもね、そもそも、
「専業主婦は家事を完璧にすべき」って誰が決めたの?って話。
「アイロンがけは妻がすべき」って誰が決めたの?って話。
仮に自分で決めていたとして、
自分で自分を苦しめているって、
自作自演の殺傷事件と一緒な訳で。
それ、意味ある?でしょ(笑)
なんとなく、社会的な風潮とか、
なんとなく、親からの圧力だとか、
周りから押しつけられた価値観、ルールだったと気づいたのなら、
「あ、自分で決めるんで!」って
自分が納得するマイルールに書き換えちゃえばいい訳です。
「そもそも、それって、誰が決めたの?」
「常識」といわれるものほど、疑ってみる価値大アリです。
常識の囚われから抜け出すと、
もっと自由な発想と、可能性がいっぱいだって気付けるから。
大げさかも知れないけれど、羽が生える感じ(笑)
自分が持っている「価値観」「常識」って
まるで、「ガラスの檻」だったりします。
見えないし、見えないから、ぶつかるし、
窮屈で、ぶつかったら痛いのに、
どうしてそうなるか、その理由が分からないって
泣きたくなります。
伸びやかに生きるための、優しい問いかけ。
「そもそも、それって、誰が決めたの?」
自分の持っている価値観、マイルールを
自分仕様にカスタマイズしなおすおまじない。
「そもそも、それって、誰が決めたの?」
その問いかけとその答えを、もしよかったら私にも教えて下さいね♪
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