「受け取る」と「受け入れる」は別物


最近、オンライン、リアル問わず、
「ありがとう」と言って頂けることが
今までにも増して、じんわり嬉しく感じていたりします。

 

なんだろう。 

 

アナウンサーのような音の
聞き取りやすくて、さらりとした水のような
「ありがとう」じゃなくて、

お寺の梵鐘の音のような
心地のよい、揺らぎのある
「ありがとう」を感じています。
 

トーンがゴーンの
「ありがとう」

書くとなんだか、ヘンだけど、
「ゴーン、ありがとう」は染み渡る。

これは、私の心持ちの変化なのか、
関わる方の心持ちの変化なのか、
はたまた両方なのか、
単なる私の気のせいなのかは、分かりませんけど、

 

とても心地よくて、幸せな気持ちにさせて頂いています。
本当にありがたい♡
 

 

文字は同じ「ありがとう」

でも、

「感謝」のグラデーションの表れであり、
「思惑」のグラデーションでもあったり、

「どういたしまして」と受けとる側の
受容力のグラデーションでもある、

そんな風に感じてます。

 

「小さな親切、大きなお世話」とか、
「ありがた迷惑」とか、

与える側と、受け取る側の微妙なズレが
人間関係のズレをうんでしまうことって
あるある、です。


無理やり相手に「よかれと思って」、
何かを与えて、飲み込ませようとすると、
たいてい、面倒くさいことになります。
「やってやったのに!感謝もしないなんて!」って、
キィッ~!ってなっている人、多いでしょ。

 


「よかれと思わんでいい」

 

と、個人的には思います。
よかれ思想が出た時点で、
「私が与えるものは相手にとってよい」って大前提だし、
なんか、ちょっと恩着せがましいでしょ(笑)

相手が受け取るか受け取らないかは、
我関せずだけど、

私が与えたくなっちゃったから、
与えただけ。

主語はいつだって「わたし」です。
「私が与えたいから」であって、
「相手が受け取るから」ではないということ。 

でないと、受け取る相手にとっては恐怖ですよ。

昔の奥様会の社長夫人が、
「私はこんなにあなたたちのためにやってあげているのに、感謝が足りない!」
とおっしゃるご婦人でありましたので、結構大変でした(苦笑)

そして、何かしてくれたことに対して、
相手のご厚意を無駄にしてはなるまいと、
与えられたものを、無理やり飲み込むと、
「こんなまずいもの、いらんわ。」
と文句の一つも出したくなるし、

世に蔓延する「感謝教」の教えにのっとり、
「ありがとうって思えない私は、悪い人間だ!
ありがとうを100回言ってみよう。」
みたいな謎の感謝教信徒になって、

ほんとの自分の望みとか、
何を受け取りたいのかをわざわざ不明瞭にして
満たされない自分を演出してみたり、
 

ややこしいことになっているなぁと思うのです。
感謝って、湧きあがるもので、
無理矢理引き出すものではないですよね。

受け取ると、受け入れるって別物だからね。
ご用心。

 

「ありがとう」って、
自然体の人と人との間にうまれるもの

私は、そう思うんですよ。

 

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